日記とユビキタス

五反田でユビキタスメディアアートなどに関する打ち合わせ。今年はいろいろありそうだ。
個人情報について日本人は特殊な対応をしていると思う。
情報漏洩に対して過敏な反応を示す一方、こういう自分の生活を晒す日記は盛況だ。
自分を知ってもらいたい反面、肝心のところは知られたくないというスタンスを取る人が多いと思う。かくいう私もその範疇に入ると思っているが。
ただ、ユビキタスのシステムの中では、あえて個人情報項目を多くオープンにした人のほうが、よりそのメリットを享受できる。
私が特に考えてみたいのは、この日記をユビキタス的に作成する試みだ。自分がその日通過した場所、訪れた店、会った人、見た風景などを履歴して、一日の日記として作成する。
そういう支援システムがあれば、日記の概念も少し変わって見えてくるかもしれない。

ファウスト」第2号で東浩紀舞城王太郎論を読む。
すでに大塚英志あたりから舞城叩き(舞城ヲタ叩き含む)が始まっていたとは知らなかった。「早稲田文学」なんて読まねえもんなあ。
蛇に蹴られて別の壇上で遊んでてほしい。
エンタと純文を書き分ける舞城氏の器用さがここに来て、叩きを生じさせる一因となっているのか。なんとも日本村っぽい話だ。
東氏の今回の「九十九十九」に関する指摘はいろいろ示唆に富むもので興味深かった。関連のノベルス作家らを知らないとなかなか深く理解できない種類の作品なので、これでやっと構造を掴むことができた。
しかし、構造はわかっても、作品自体のおもしろさは全く別のものだ。文学評論をいくら読んでも、その作品の真のおもしろさはやっぱり伝わってこないのだった。
小説の良さを伝えるということはやはりとても難しい。


グレープフルーツ