金原ひとみ

金原ひとみ「アッシュベイビー」を読む。
なんとも殺伐とした話である。
主人公のキャバ嬢は常に悪態をついていて、情緒不安定で自分の足を刺したりしてるし、同居している男はロリコンとかいう設定でどっかから攫ってきた赤ん坊を嬲りものにしているし、読むごとに気が滅入ってくる。
純文学は人を不快にさせるためにあると誰かが言っていたが、本当にそういう意味では真っ当な純文学である。
別段、私は金原を否定したいわけではなく、むしろおもしろいと思っているわけだが、どうしても許せないことがひとつある。それはロリコンへの無知ぶりである。
まあ主人公がどうなってもこんな奴知ったこっちゃないが、同居してる男の行動がロリコンの行動とはとても思えない。
だいたい生まれてまもない男だか女だかわからんようなのを性の対象にしたり、小さいのがいいということだけで鶏やウサギを獣姦するのはロリコンじゃねえだろ。ただのそれは異常者です。というか単なるバカ。
どこで取材したのか知らないけど(そういえば一切取材なんかしないとどっかの対談でのたまってたが)、ロリコンの把握の仕方が間違ってますぜ。
ロリコンなんてこんなもんだろうっていう高のくくり方が見えて腹立たしい。
アキバへ行って、ぷに萌えでも研究しろよ。

まあでもオレも反対にスプリット・タン研究しろとか言われてもしないから、両者の溝は一生埋まらないのであった。


「新潮」4月号で斎藤環金原ひとみの登場を新しいタイプの小説家だとして歓迎している。
つまり、今までの小説家のタイプはいわゆる「ひきこもり系」だったが、金原は「じぶん探し系」ともいえるいまどき渋谷を跋扈しているフツー女の代表であると。
「じぶん探し系」とは曰く、

「過剰なまでにコミュニカティブで、友人も100人のオーダーで存在する。異性関係においても早熟で。常に流動性の高い対人関係を生きている。しかしそのぶん、孤独に対する耐性が低く、自己イメージが安定しない。コンビニやファーストフードの前にたむろする、金髪にピアスの若者たちは、この部族に所属する。」

部族って、あんた、凄い表現してますね。でもまあありゃ部族だよね。
つまりそんな部族はもともと本なんかは読まないわけで、小説なんて書こうとしなかったわけだが、なぜか金原は突然変異で書いてしまったわけでとても画期的なことだったというわけだ。
金原のよく使う言葉のひとつに「適当」があるが、その意識は自分自身にも向けられている。つまり自分の存在すらも適当なのである。これやったら、死んじゃうかもしんないけど、いいやって感じで。
斎藤環はそのへんから「匿名化」という言葉を使って金原を分析しているが、今回の「アッシュベイビー」の主人公も、自分と周囲をおそるべき「適当のカオス」の中に沈めようとしている。しかしこういうのホントにいそうだから、いまの時代、怖い。上野あたりのキャバ嬢見てると、地でそんな生活やってそうだ。
もしかしたら、この小説はドキュメンタリーに近いのかもしれない。


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