パッキャラ魔道

 ブロードバンド用コンテンツ、打ち合わせ。近頃やたらこんな仕事が多い。TV番組でさえ虚業と言われてるのに、ネットコンテンツなんて塵芥みたいな存在だ。
 初期の頃のTV番組は保存が疎かでほとんど何も残っていないが、たぶんネットコンテンツもその二の舞になるだろう。誰も今見てるネットの画面が文化的価値を持つなどとは思っていないし。それは60年代に「てなもんや三度笠」を見てた人も同じ思いだったはずだ。白木みのるの映像が貴重だと思って録画してた人はとても偉い。



ある必要があって、パソコン通信時代のNifty-serveの初期画面を再現しようと思っているのだが、そんなの覚えている人もいない。たった十数年前の話なのに。そんな画面、再撮してた人なんかいないよなあ。うーむ。記憶を辿りながら似たようなものをつくるしかないか。
ネットの世界など、急流に身を任せるが如き状況なので、万事が瞬時に消えていく。



舞城王太郎「パッキャラ魔道」(群像5月号)。
実験的描写と小説の役割についてのメタファーがタイトルに込められている。
マトリックスの馬鹿でかいハイウェイセットでのカーチェイスシーンのような状況を、逐一、文章で描写していったらどうなるか。脳の視覚野と言語野をくるくる切り換えながら読み進めるという不思議な読書体験だ。
「パッキャラ」というのは、かの有名な「クラリネットを壊しちゃった」のフレーズ。
曰く、人生はどんなに状況が悪くなろうともパオパオ唄うことである、と。至言。



寄せ豆腐
ひじき
上善如水