春と洪水。

芭蕉奥の細道の旅に出発したのは、3月末。陽暦に直すと、5月半ばになる。都合でひと月ほど出発が遅れたらしいので、実は4月の今頃に旅立つはずであった。
もし今という春真っ盛りの時期に出発していたら、名句「行く春や鳥啼き魚の目は泪」は生まれていなかったかもしれない。
そんなことを思いながら、隅田川沿いを歩く。
公園では毎年恒例の流鏑馬の準備が行われ、川を覗くと、日曜の早慶レガッタの練習でボートが行き交っている。
花粉が少しつらいけれど、今は散歩するのが楽しい季節だ。



寄席で偶然、春風亭昇太。40歳を過ぎても若さに溢れている。婆あがやりそうな海外旅行エピソードが光る。「ハワイで梅干し、家でピザーラ。」「外人スッチー、機内での英語飲み物いかがですか攻撃」などなど。客に田舎の団体が多かったので、どかんどかん受ける。



佐藤友哉「大洪水の小さな家」(新潮5月号)。
純文学に無理にしようとして力みすぎの印象。
もっと自分が持っている言葉に自信を持ったほうがよいのではないだろうか。敢えて、しかつめらしい余所様の言葉を使わなくていい気がする。そのへんはやはり舞城氏のほうがうまい。
キモ悪い兄弟愛を洪水という非常事態の中で語るという設定がおもしろいといえばおもしろいが、話が抽象しすぎていまひとつピンと来ないのだ。期待しているだけに残念。



洪水シーンのベストといえば、谷崎の「細雪」。
徐々に増水する様子の不気味さと救出する際の落ち着いた語り口なのにサスペンス風味たっぷりの読ませる描写は圧巻。
しかしあんな目に遭わせながら、助けた奴も助かった末娘もあんまり幸せにならないところが、谷崎の底意地の悪さが出ていて個人的にはたまらなく好きである。
 事実、谷崎は、もっと本当はこいつらを酷い目に遭わせようと思ったが、発表時期が戦時中だったので自制したと、述懐している。
 こうした登場人物への屈折した愛憎が谷崎の真骨頂であって、実に楽しい。自分が思っていることを登場人物に託して語らせるだけでは、ほんとうのおもしろさは生まれてこない。自分が思っていることや信じていることを一度疑い、憎み、自分に対してさえも攻撃をしかけていくことで、物語ははじめて動き出すと思うのだ。