乃木坂にて

 乃木坂のイタリアンAにて会食。
T部屋関取連中や辛口文芸評論家F氏などの姿も確認。
しかしF氏にはいろいろなところで遭遇する。この前は談志の独演会で目撃した。
 この店はメニューがなくて、おまかせである。まあここに来る客は高名なシェフの名前で来るわけで、なにが出てきても基本的に文句はないのだろう。



 会食での話はブロードバンドやCSコンテンツできちんと儲けられる日は果たして来るのかという永遠的命題をぐるぐる。まあ明るい未来を信じてこつこつやっていきますよ。
 あとはカードの話など。黒AMEXと黒ダイナースはどちらがサービスが良いかとか、スコットランドではマスターしか通用しないとか、その他こんなところには書けないようなカード裏話に花が咲く。しかしクレジットカードもユビキタス対応にいきなり変わるのだろうな。



 週刊誌などで鷺沢萠に関する記事読む。ポットも沸かしっぱなしで死ぬだろうか・・・。新潮2月号に載った明るい在日青春小説とでもいうような「眼鏡越しの空」が遺作となった。読後印象はサイトに書いた通り、マンガ化などしたらおもしろそうな感じであった。合掌。



 「ランドマーク」吉田修一(群像5月号)。
 建築家とその現場のガテン系な男のツイン主人公。やたら建築用語が出てくる。きっと勉強したんだろうな。あとはヘルツォーク&ドムーロンなどの今風オシャレ系建築があれこれ登場。カーサ・ブルータスとか好きなんだろうか?
 こういうオシャレな建築も、現場は昔と変わらない泥臭いガテン兄ちゃんたちが、おっ建ててるんだという現実的ギャップについてはよく伝わってきておもしろい。。
 しかし、建築家の個人的興味ひとつで高層ビルができるというのは無理があり過ぎ。カリスマと言われる建築家ほど巧みに様々な意見を取り入れているものだ。(そうでなければ実用に耐えられない)
 なにより、まさに「おっ立てている」ビルが示すメタファーが安直過ぎ。いつから日本の小説はこういう1対1の意味しか示さない薄っぺらな比喩を、さも意味ありげに多用するようになったのだろう。
 書いている本人も気付かないようなポリフォニックな意味を湛えたイメージを勇気を持って提示するのが小説家の仕事のひとつだと思うのだが。
 わかりにくいとあっさり切り捨てる前に、もっとそれを深く掘り進む努力をしてほしいものだ。



いちじくと生ハム
えびパスタ
おすすめバローロ
など