玄侑宗久

小説新潮」で玄侑宗久の特集。本屋に行って驚くのだが、この人の本、いつの間にかどんどん増殖している。仏教ブームであることは間違いないのだが、それにしてもここまで増えるとは思わなかった。五木寛之中沢新一のポジションよりさらに仏教の現場に近いというのがポイントか。男瀬戸内寂聴といった感じ。


 特集の中でおもしろかったのは、赤瀬川原平東海林さだおとの座談。
 曰く「年を取るのは気のせいなんですよ。」


玄侑「でもね、老化の原因は五つぐらい説があって、まだ結論が出ていないそうですが、一般的には、ハンコだって長いこと押していれば擦り切れるだろう、みたいに考えられてます。脳や体についてもハンコと同じ程度のことしか言えない。ところが、ここにきて、アメリカで真面目に「老化現象はなぜ起こるか」を研究しているグループの人たちが言っているんですよ、「年を取るのは気のせいじゃないか」って(笑)。
赤瀬川「その説、採用しましょう。」
東海林「勇気づけられるなあ!」
玄侑「本気で研究してるんですよ。80代の人を50人くらい集めて、50年前の環境をつくった中で、一緒に50日間暮らしてもらう実験をしたんですって。」
東海林「おじいちゃん、おばあちゃんたちの青年期の環境にして?」
玄侑「そうです。家やカーテンも50年前のもの。テレビをつけると50年前の番組をやっているし、ラジオをつけると50年前の音楽が流れてくる。」
赤瀬川「へえ。」
玄侑「実験の前にいろいろな検診をするんですけど、一番歳をごまかせないのは皮膚圧らしいんです。ピッっとやったときに、どれだけ弾力があるか。」
東海林「年取るとハリがなくなるからね。」
玄侑「で、50年前の環境で50日間生活したら、皮膚圧が20代、30代に戻っていた人が30%くらいいたそうです。」
東海林「それ、いいなあ」
玄侑「人間は社会的な生き物ですから、年齢らしい自分をつくっていく。意識の奥のほうで「もう60歳だからこういうことをしちゃいけないな」とか思うんでよ。だから、年を取ってしまうんじゃないかと。」
東海林「そうか、年齢を無視すれば、老けないんだ。」
赤瀬川「懐メロばっかり聴いて、最近の音楽についていけない、なんて卑下しなくてもいいんですね」
東海林「懐メロ聴いて、ドドーンと若返ろう!」



うーむ、笑える。ほかにもこんなことも言ってます。


玄侑「「あー」という音を言い続けていると、明るく大きな気持ちになる。「いー」と言ってると、だんだんイライラしてくるし、アドレナリンもどんどん分泌されて血糖値もあがってくる。」
赤瀬川・東海林「へえーっ!」
玄侑「「えー」は猜疑心を促す。」
赤瀬川・東海林「エエーッ!」
玄侑「「おー」は目に見えないものを信じる力を養う偉大な音であると言われてまして。だから、「陀羅尼」とうインドのお経は「あ」と「う」と「お」を中心にしてあるんです。
赤瀬川「いい音を中心にしてある」
玄侑「ところが、カラオケで歌う曲、特に演歌のサビの部分は「い」と「え」が多いんです。だから、喉も痛くなる。お経のほうがいいんです」



あと、後半では、人間の魂をアインシュタイン相対性理論を使って分析しています。すごい。すごすぎる。
今までの仏教作家とは一線を画してます。
他のも読んでみようかな。あ、こうやって増殖していくわけか。なるほど。


アキバを「タイムボカン」や「ウルトラマンタロウ」などのVを求めて彷徨うが収穫無し。DVDはあってもBOX仕様。別に全話見たいわけじゃないのでBOXで売られても困る。ところどころ確認がしたいだけなんだが。しかし中古市場もほとんどビデオが無くなりDVDになっている。メディアの入れ替わりというのは急速に行われる。
しかたないので、またヤフオクで探す。


そのヤフオクで買った伊丹十三「あげまん」見る。
伊丹作品はなぜかほとんど絶版になっており、DVDも発売されていない。絶版になっている理由はいろいろ諸説あるがどれもキナ臭い。かろうじて「タンポポ」はアメリamazonでDVDが売られていたので購入したが、あとはレンタル落ちビデオをヤフオクで見つけて買っている。
あまり知られていないが、彼ほど自分の映画のメイキングと制作日記を残している監督もいない。本編とそういうメイキングを比べて見ると、いろいろ映像演出の勉強になる。
「あげまん」の身上はテンポの良さである。始めの15分ですべてが把握できる。「レイダース」の冒頭と比肩されるテンポの良さだ。
 90年に制作された作品なので、随所にバブル期の勢いが垣間見られる。今となっては料亭遊びをしたり芸者の妾を囲う社長や政治家の姿が、とても懐かしいものに思える。なんとも世知辛くなったものだ。田沼の時代が恋しいというやつか。


かつお
とうふ
さんぴん茶