モノンクル

 ブロードバンド関係、打ち合わせ&制作連日。次世代ゲームの話も出る。時代もつくづく変わったものだ。こんな話、つい数年前までは、社内で誰も聞く耳持ってくれなかった。それどころか半ば御法度状態だったしなあ。しかし今では中心戦略化しているのだから夢のようである。憲兵のようにネット関係にことごとくストップかけてた奴らが臆面もなく急に手のひら返して、ネット事業礼賛している様は、はっきりいって違和感ありありだが、まあ結果オーライということで前向きに進める。


 ゲームの昔話をあるところでしていて、改めて思ったのだが、ファミコン黎明期は学生ゲーム屋みたいのが結構いたものだ。有名なところでは、往年の名作で最近、i-modeでも復活した「ドアドア」は、後のチュンソフト代表の中村光一が学生時代につくったものだった。現在のような巨艦化したゲーム業界では信じられないことである。
 元ハル研究所で今や任天堂社長の岩田氏なども、ゲーム市場が衰退しているのは、CGの精細度や中身の複雑性ばかりを追求した結果であり、本来ゲームはもっと別の方向の楽しみ方があるはずだと、原点回帰みたいなことを近頃言っていた。だからといって、任天堂がそのへんの学生風情のアイデアを採用するとも思えないが。同社の宮本茂氏も自分の頃に比べて今はスター制作者を産み出しにくいほど組織がでかくなってしまったと言っていたし。
 少なくとも年末に出るニンテンドーDSはスペック競争などに陥らずに、ソフト本意のプラットフォームにしてもらいたいものだ。
 ちなみに同時期に出るソニーのPSPは映画みたいなコンテンツも視野に入れたハードだが、こういうなんでもできてキレイだよみたいな方針が、結局一番やりたいことおもしろいことをぼかしてしまって、なんでもできるけどなんだかなあというモノにしているのではないだろうか。
 任天堂はそのへんゲームしかできない不器用な高倉健的バカ一徹を貫いてもらいたいものである。


 勢いあまって、任天堂公認のTシャツ屋「キングオブゲーム」でファミコンTシャツ注文。こういうファン魂が喚起されるようなゲームソフトが待望されていると思うが。


 ヤフオク伊丹十三関係資料、更に収集。伊丹氏の死後、権利関係がややこしくなっているのか、ほとんどの作品が現在絶版状態である。彼は自分の作品のメイキングや日記資料をきちんと発行していており、それが本編以上におもしろい。映画パンフも非常に凝っており、必ずその作品が見る者とどういうふうに関わってくるものなのかが明確にわかるように仕組まれている。純粋に読み物としておもしろい。
 彼がその昔編集していた「モノンクル」という雑誌があり、今の雑誌カテゴリーではおよそ分類不可能な内容なのだが、それも今回偶然入手できた。改めて見ても、その中身の偏執ぶりは凄まじいものがある。
YMO小泉文夫 インドへの恋心
村松友?+ますむらひろし バルトの森の怪
赤ちゃんを熱湯おしぼりで拭かずにいられない不潔恐怖の私
マスターベーション異性愛か同性愛か
蓮實重彦野上照代 黒澤明旗への偏愛
等々
 現在巷にはびこる商品タイアップ提灯記事カタログのような雑誌どもとは対極にある極私的興味追求である。まあそうは言ってもちゃんと周到な計算が働いてはいて、同人誌にはなっていないところが見事だ。初期のブルータスにもこういう感じはあったのだが、今ではオシャレ家具屋やバブリーレストランの手先のような内容になってしまっていて哀しい。だいたいブルータスとか地方の読者はどういう気持ちで読んでいるのだろうか。記事の大半は東京か海外。たまに京都やうどん讃岐といったトピック先行の地域情報もあるがそれはほんの一部。東京の話題だけで世界が回っているとでも思っているのだろうか。まあ所詮カタログ雑誌だから仕方ないか。ゲーム業界と同じように、昔のやくざなパワーをそろそろ思い出してほしいものである。


まぐろ
水なす
一保堂新茶