超ヴィジュアル展。

marudonguri2005-05-06

超ヴィジュアル展参加。
 古今東西の映像装置をごった煮して、これからの映像とやらを考える展覧会「超(メタ)ヴィジュアル展」(東京都写真美術館)。
 今回、その中で私が企画したのは「現代文学の映像冒険」。以前から何らかの形で実現したかったので、このような機会に恵まれたことをとてもうれしく思う。


 文学の映像化というと普通に考えればドラマや映画化ということになるが、私がやりたいのはもっと書かれたテキストそのものに映像的にアプローチするというものだ。文字も映像の一部であるということはしばしば忘れがちだが、昨今のTVの過剰なほどのテロップ演出やマンガの擬音、CMなど広告デザインにおけるモーショングラフィックス等の氾濫のおかげで、文字はそれそのものの意味の他に映像的意味をも付帯しつつある。
 丸文字より明朝のほうがなぜシリアスに見えるのか、
 文字を組み合わせるとなぜ、にしこり や (-_-) などというように顔に見えたりするのか。
 井上ひさしはかつてワープロを使い始めた頃に、あまり使われることのない特殊記号たちが可哀想だと、∴仝§#といった記号をフル出場させた短編を書いていたが、なかなか文学の世界ではまだまだ文字は文字のままである。まあそれは当たり前で、やたら記号や顔文字が出てくる作品は読みにくいし、それを使ったことで文学的価値を上げるのはなかなか難しいことだ。そういうスタイルですんなり受け入れられるのは「電車男」くらいか。
 私としてはテキストを純粋な絵として捉えることと意味そのものの表現体としてテキストを考えることの両面を持った文学作品はできないだろうかと夢想する。それは物語が不在とされている現代において文学が新たな力を持つためのヒントになるのではと思うからだ。


 今回その無謀にも似た私の試みに快く参加してくれたのはパリから帰国したばかりの平野啓一郎氏とライトノベル界から突如純文学村に乱入してきた舞城王太郎氏である。両氏はそのデビュー時から前衛という言葉を使うのも恥ずかしいほどの圧倒的パワーで牧歌的な文学村のオキテを破壊し続けている荒神達である。
 今回使わせていただいたのは「新潮」の2004年1月号に掲載された平野啓一郎氏の「女の部屋のコンポジション」という作品と、舞城氏の「みんな元気。」の書店宣伝用ポップイラスト群である。
 特に平野氏とは作品を映像演出する過程において多大なるアドバイスをいただき、映像デザイナー根本雄喜氏含めて三者共同で制作するという貴重な体験ができた。そこで感じたのは三者三様の文字へのアプローチの違いである。作家・デザイナー・TV番組制作者という職業の違いが様々なポイントで交差したり反射したりして、仕上がりが当初の予想とはだいぶ違ったものになったことはある意味収穫といえるだろう。


 舞城氏にお借りした作品は、テキストではなくイラストだったが、氏は画家としての才能もとてつもない。今回お借りしたイラストは50枚近いものであるが、それをiPodPhotoに入れ込み、高速パラパラ漫画として鑑賞できるようにした。以前は新潮社HPのクリスマス企画として掲載されていたものだが、今回iPodという映像装置を使い、更にそれをプロジェクション投影することによって、HPや書店で見た時とは別の、氏の絵が先天的に持つ浮遊するようなドライブ感を味わえるのではないかと思っている。できれば「みんな元気。」と合わせて鑑賞されることを強くお薦めする。


 文学を映像的に冒険させる挑発にも似た試みは、まだまだ武装途上であり、今回はその極々わずかな端緒に過ぎない。できれば今後、アイデアと協力作家諸氏を増やしていき、大きなかたちを持った企画にしていきたいと思う。
 ちなみに今回の試みについては、また近く「群像」誌上にて詳しく報告する予定である。
 「超(メタ)ヴィジュアル展」は恵比寿の東京都写真美術館にて7月10日まで開催中。