志の輔らくごin下北沢 文楽編。

志の輔らくごin下北沢 文楽編」(5/28)
 日本で一番年間高座数が多い落語家は立川志の輔。昨年も300席くらいやったというから超人である。立川流一門は寄席の定席に出ないから、そのすべてが独自に行っている高座だ。
 中でも人気が高いのは、毎月21日に新宿・明治安田生命ホールで行っている「21世紀落語」と一年に一度、渋谷のパルコ劇場で開く「志の輔らくご」である。どちらもすぐ完売になってしまう超人気高座で買うのが大変なのだが、特に「志の輔らくご」は落語のイメージが一変するような奇抜な新作とそれをフォローアップする仕掛けが毎回控えていて、見逃すことはできない。


 「志の輔らくご」はパルコのものが一応メインなのだが、その他にもいくつかバージョンがある。今回、本多劇場で行われたのもそのひとつ。近年、志の輔師匠は古典芸能に凝っていて、既に能とコラボした「志の輔らくご 能楽どーよ」を成功させているが、今回はついに「文楽」である。いつかはやるだろうと思っていたが、こんなに早くやるとは思っていなかった。文楽好きの私としては、盆と正月に三社祭がトッピングされたくらいに嬉しい話だ。


 下北という場所柄、若い人が多いかと思いきや、場内見た感じではいつもの志の輔ファンといったところ。とはいえ寄席の客層などよりは圧倒的に若いわけだが。文楽を意識してか着物姿の女性もちらほら見かけるが、ここの座席は狭いので窮屈そうである。
 始まりは、私服での一人語り。直立レッサーパンダネタでつかんでから、話はお得意のメディア批評へと進む。
 「レッサーパンダの前に騒いでた事件って何だっけ?」「えーと、ああ尼崎列車脱線事故だよ」「その前は?」
 「えーと、新潟地震かな」「そりゃ去年だろ。もう半年以上前だよ」「え、もう半年も経つのか・・・あ、津波だ、大津波」「それも去年の暮れだろう。あっという間に忘れてるなあ」「え、じゃあ津波から、脱線事故まで何があったんだっけ?」「えーと・・・」
 「そうなんです、よーく考えると、2月から4月までなんと、ホリエモンが一人でずっとつないでたんですよ」


 暗転後、登場したのは偽ロシア人志の輔。「ごっつ」で松本人志がやっていた「パーティ行かな」と連呼する外人キャラを思い出す。外人の目から見た奇妙な日本という設定。
 「日本のスーパーにも行きました。ロシアではモノを買うのに人が並びますが、日本ではモノのほうが並んでいます。牛乳ひとつとってもたくさん種類があって、どれを買っていいかわかりません。案内してくれた平太郎さんに聞きました。ドレヲ取レバ、イイデスカ? 平太郎さんは答えました。「奥から取れ」。」


 その後、平太郎に国立劇場という場所に案内されたロシア人、そこで奇妙で美しいものを目撃する。それがすなわち、「文楽」。
 突如、舞台におなじみの三色縦縞の引き幕が現れ、義太夫・三味線が登壇し、文楽舞台セットとともに、黒子登場。「東西とーざい」で始まる口上の後に始まるは、ご存じ八百屋お七「伊達娘恋緋鹿子」。
 火の見櫓に登るシーンなどでは人形遣いの鮮やかな仕掛けに拍手が鳴り響く。この演目は京都祇園にある外人や観光客向けの案内所でも演っているくらい、わかりやすくて綺麗なので人気がある。古典芸能が好きになるかどうかは、最初に見たものの印象で決まると思う。いきなり国立劇場で観るより、こうした感じでファーストコンタクトするほうが、もっと観ようという気分になるだろう。


 一段終わって、休憩後、舞台はふつうの高座スタイルに。今の文楽いかがでした?で始まり、おもむろに始まるのは、「猫の忠信」。これは「義経千本桜」のお馴染み狐忠信の落語版ともいうべきもの。まあ落語のほうがもっとシュールであるが。途中、小唄のお師匠と常吉兄貴に化けていた猫の兄妹が身の上話をする段になって、いきなり舞台は再び文楽バージョンへ。義太夫唸るは、志の輔師匠自ら。 そしてなんと人形は猫!猫がレッサーパンダよろしく直立歩行し着物を着ている。もちろん操りは三人遣いだ。両親が三味線の皮にされ、それを追ってここに来たという身の上話の悲しさが佳境にくると、場内も涙にくれているのがなんとなくわかる。猫に、猫の人形芝居に皆泣いている! 


 やっぱり文楽とは不思議な芸能である。私は以前にも某書で文楽はアニメであると述べたことがあるが、人形遣いの姿も丸出しで、セットはぺらぺらの書き割りで、義太夫は大袈裟な声色で絶叫する、一見荒唐無稽のこの芸能の持つ魅力は日本人特有の感情移入能力に拠るところが大きい。二次元のアニメキャラに萌える能力と文楽人形浄瑠璃を美しいと思える想像力は通底しているのだ。キャラや人形という「偽物」ゆえの本物を越える存在感と表現能力は、あぶない抗しがたい魅力を持っている。
 今回ここで文楽を見てしまった人々はこれからその妖しいダークサイドに堕ちていくことだろう。江戸時代に文楽通いをしていたような若旦那について、義太夫の中でもやや自嘲的に語られることがあるが、人形芝居にうつつを抜かしているような奴は今で言えば、アキバのアニヲタみたいなもんだったのかもしれない。


 最後のカーテンコールで文楽技芸員さんらもすべて登場。思えば文楽ではカーテンコールなんか無いから彼らも嬉しいだろう。だいたい文楽ではよほどのベテラン(=人間国宝)にならない限り、登場しても拍手ひとつされない厳しい世界なのだ。
 キャストの中に、吉田玉女がいるのでびっくり。若手の協力と聞いていたので、この若手(といってももう50代だが)実力者の姿には驚く。どうやら病欠のピンチヒッターらしい。しかし代役が玉女なんて、すごく贅沢である。それも遣うのが猫の人形。すばらしい。
 退場時、客の会話を聞くともなしに聞いていると、やはり今日初めて文楽を見たという言葉をいくつか耳にする。意外と落語と文楽を両方観るという人は少ないのか。これをきっかけに文楽を本格的に観てみようという人もいると思う。それは喜ばしいことではあるが、国立劇場に限って言えば、これ以上ファンが増えるとさらにチケットが取りにくくなるのは困るなあという勝手な思いもある。聞けば大阪文楽劇場は本場のくせに東京より興行的に苦戦しているようなので、むしろこういう試みは大阪でやってもらうと、文楽ファンの底上げに繋がるのではないだろうか。


 若者でごったがえす下北は早々に後にして、千代田線で一気に湯島に向かい、「シンスケ」で正一合大関を飲む。
 裏の湯島天神の祭り囃子が耳に心地よい。