志の輔らくご、4連発。





 最近、文学賞絡みで「勝ってよかった」だの「足の裏の米粒」だのの発言を聞いて、なんだか小説を読むのが嫌になってしまった。本屋の小説棚を見ても、食指が動かない。ワイドショーで御立派な正義の正論を吐いている作家の単行本がピカピカ光っているだけだ。


 そういう時、心を癒してくれるのは、落語。今月は「志の輔らくご」があって、本当に良かった。行くのがだるい日もあったが、行けば元気をもらって帰ってこれた。
 今年で10年目の「志の輔らくご in PARCO」。今までの総決算+新作ということで週替わり4つのメニュー。ほぼ1ヶ月のロングラン。はじめはどれか一席行けばいいやと思っていたが、フタを開ければ、毎週パルコに足を運ぶ自分がいた。やはり偉業の現場にできるだけ立ち会いたいではないか。


 このパルコ公演は毎年、あっと驚く仕掛けがあって、それを見るのも楽しみのひとつである。しかしやはりなんといっても、おろしたての新作の語りが聞けるのが最大の幸せである。今年は3つの新作が加わった。中でも最終週の「狂言長屋」は本物の狂言とのコラボを演じたらしく、フィナーレを飾るにふさわしいものだったようだ。ようだ、というのも、実はこの新作の時だけ、やむにやまれぬ仕事があって、聞けていないのだ。なんとも残念。しかし2月にはWOWOWで、どれかをセレクトして放送してくれるようなので、これがかかるように念じる次第である。


 それにしても、志の輔師匠は、相変わらず、世のおばさんが好きそうな日常のモンダイをネタに昇華するのがうまい。ドラッグストアに並んでいるおそうじ洗剤に対する疑問、三千円以上買うとついてくるハンドタオル、パートをやりながらコーラスに勤しむママさんの日常、いらないものでいつのまにかいっぱいの押し入れ、商店街の福引きの悲哀などなど。
 落語というと古典を思い浮かべてしまう人も、志の輔師匠の新作を一度聞けば、現代の落語という世界がいかに自分の日常と地続きであるかが実感できると思う。まあでも現在、落語を聴こうとすると独演会のチケットを買ったり、CDをわざわざ買ったりという能動的行為が必要である。本当は嫌でも目に入ってくるテレビで、もっとやってくれるといいんだが。未だに落語というと笑点というのが情けない。志の輔師匠のイメージも普通の人にとってみたら、ためしてガッテンペヤングの人なのだろう。もったいない。


 パルコに行ったという高田文夫のラジオを聞いていたら、志の輔師匠がひとつだけ封印した落語があったという。それは包丁で刺されたのに気付かない男の話で、最後に噺が終わって師匠が立つとその背中に包丁が・・・。というオチらしい。演ろうとした日にちょうど凶悪殺人事件が勃発し、あまりに不謹慎だということでオクラにしたらしい。師匠らしいエピソードである。きっとブラック師匠なら、絶好機とばかりに喜んでやったに違いない。