桂三枝トリビュート。

大銀座落語祭グランドフィナーレを飾る大立て者勢揃いです。
桂三枝トリビュート。
場所は先月、談志・志の輔が命を張った新橋演舞場です。
あの親子会は過度の期待のため、もの凄い緊張が演者にも客にも漂っていましたが、
今日はうって変わってリラックスムード。
お祭りなので、当たり前ですが。


桂三枝トリビュート、すなわち、家緑・志の輔鶴瓶・昇太が
新作落語の帝王、三枝の噺をそれぞれのスタイルでカバーするという趣向です。
三枝師匠の新作は百を超える膨大な数にのぼりますが、各人自分のカラーに似合う噺をうまくチョイスしてきました。
とはいえ、あのクセのある噺をうまく料理するのは至難の業です。
志の輔師匠が先日のラジオで、「三枝師匠の噺をやる難しさは、その会話のすべてがさりげない三枝節なくては成り立たないものだからだ」
と語っていました。
たとえば、「いらっしゃいませ」という言葉も、三枝節で言えば「いらっしゃ〜い」ですから。
事実、今回の演目の中には、きっと三枝師匠本人がやれば、もっと面白いだろうなと思うものも残念ながらありました。


しかしそうしたものも含めて、今回の試みには意味が充分あります。
本来辛辣であり理不尽なへそ曲がりである江戸っ子の最後の生き残りの小林信彦は最近、「うらなり」という興味深い作品を出しました。
これは、お馴染みの漱石「坊ちゃん」を脇役うらなりの目を通して語り直した小説です。
これを読むと相当坊ちゃんへの印象が変わることはもちろんですが、実は「坊ちゃん」という話がとんでもないものであることがわかるのです。
今まで巧妙に隠されていた「坊っちゃん」の中のエロスとグロテスクな感情が剥き出しにされています。


今回の三枝噺のカバーも同じことで、話者が変わることによって、三枝師匠自身も気付かなかったポイントが露わにされたような気がします。
彼自身、最後のカーテンコールでも述べていましたが、今後、自分で今日演じられた噺をやる際は、今までと違った味わいが付加されることと思います。
桂三枝トリビュート、物語への「神話作用」が作者本人にフィードバックされた極めて幸福な事件でした。


桂三枝大全集?創作落語125撰?第19集「生中継・源平」「アメリカ人が家にやってきた」桂三枝大全集?創作落語125撰?第19集「生中継・源平」「アメリカ人が家にやってきた」
桂三枝


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