家具としての若冲。

marudonguri2006-08-26

覚悟はしていましたが、案の定混んでいました、プライスコレクション「若冲と江戸絵画」展。
やはり「新日曜美術館」が放映される前に行くべきでした。
しかしこれだけの人が押し寄せるというのは、メディアの力だけではなく、若冲の絵に現代の人を引き寄せる何かがあるからでしょう。


若冲の絵は、決して「わび」「さび」的なものではありません。むしろその対極にあるトゥーマッチな、おなかいっぱいな絵です。
教科書的に言えば、「ふつうの日本人」は、雪舟等伯のような淡く、余白の美を愛でるようなもののほうが好きなはずです。
(ある調査によると、日本人の一番好きな絵は等伯の「松林図」だそうです)


ではなぜ、これほどまでに「にわか若冲」ファンが増えたのか。
確かな理由はわかりませんが、こじつけを承知で言えば、今の日本の景気がもたらす気分が影響しているような気がしてなりません。
実は6年前の2000年にも本格的な若冲展は行われ好評を博したのですが、今回の熱気はまたそれとは違ったもののように思えます。
あのころを振り返れば、まだ景気も足踏み状態で、今のような株長者やITセレブみたいな人種も表立っていませんでした。
そんな雰囲気の中では、やはり極彩色溢れた刺繍のような若冲の絵はまだどこか似合わなかったように思えます。
今回、こんなこじつけに至ったきっかけは、「ブルータス」に若冲の表紙を見たためです。
この表紙は、かつて篠山紀信の少女伝説の写真を使った時以来のエロスを湛えていました。
これこそ、今のニッポンが求める欲望なのだと思った次第です。
冬ソナの時にも、似たような欲望の匂いがしたものですが、今回の若冲を通して顕在化しつつある欲望はまた別種のものかもしれません。
過剰なものの肯定か、遅れてきた世紀末的焦燥か、はたまたシンプルモダンへの飽きを伴った反駁か。
きっとその正体は少し時間を置いた後、明らかになることでしょう。


展示会場はどのスペースも激混みなので、絵の近くに寄ることはできず、自然遠目から眺めるはめになりました。
しかしおかげで、やや客観的に作品を考えることができました。
まず思ったのは、当たり前ですが、日本画は「タテ」なんだということ。
元来、床の間などに飾る掛け軸ですから、縦長なわけですが、しかし私を含めて、普通の美術教育を受けてきた者は、あまり縦長の構図で絵を描かされません。洋画的な教育がポピュラーでしょうから、だいたいの子は横長のキャンバスで絵を描いてきたはずです。
でも本来、日本の絵は縦長、タテなんだということです。
人間の眼が横に二つ並んで付いていることに関係するかもしれませんが、タテよりヨコのほうが構図をつくりやすい気がします。
ヨーロッパの人々が、絵画というものを自然と横長で描いたというのは、とても理にかなっていることなのです。
しかし、日本人は、あえてタテに構図を取り、掛け軸というものを発明した。
これはきっと床の間という空間との関係を建築的にも語らなくてはいけないことなので、簡単には結論を出せない話ですが、
ある種、そうした家の空間のほうに、絵を合わせていった結果なのではないかと思うのです。
空間とともに絵もつくられていったのだと。


つまり日本人にとって、絵は単なる絵ではなく、空間をつくる上で欠かせない家具、日用品だったのです。
広い展示会場を見回せば、掛け軸、屏風、襖と、すべて家具なんですよね。
絵であると同時に、日用品としての家具である。
今回、動く照明を使って、屏風絵の陰影を変化させていましたが、これこそ日本画が、家という空間の中で息づいている家具なのだということを改めて気付かせる良い試みだったと思います。
マンションなどの近代建築の中で暮らしていると、こうした本来、日本人が日常の家の中に絵を溶け込ませていたということを忘れがちです。
そういう意味でも、絵だけを純粋に鑑賞するのではなく、家具として使われていたのだということを加味した上で、日本画を見るとまた違った良さに気付くと思います。


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