阿部先生、逝く。

 先日、養老孟司先生から「若い時期に、人生の相談相手のような人に出会った人は幸運だ」という言葉を伺いました。
 知識として何かを教えてもらうのではなく、暗示的なかたちで生き方や考え方を示すような師。
 その時はなんだかわからないけれど、何十年か経ってから、妙に言われた言葉が気になってくるような師。
 そんないわゆる人生の師匠のようなひとに若い時に出会ったひとは幸せだというお話でした。


 その言葉を伺って、まず浮かんだのは、私の大学時代の恩師、阿部謹也先生でした。
 先生は日本を代表する歴史学者として有名ですが、私にとっては、まさに人生の相談者というべき存在でした。
 私が先生から受け取った言葉のほとんどは、先生の著作の中のものではなく、先生との雑談のひとときのものです。
 ゼミが終わって駅に向かう道すがらの会話、旅の途中のお喋り、偶然、街で出会った時に投げかけてくる意味深な一言・・・
 様々なシチュエーションで受け取った言葉は、いまも私の心に奇妙な引っかかりを残しています。
 たぶんその言葉の多くは冗談めいたものだったと思うのですが(先生は冗談好きでした。それもかなりキツイ感じの(笑))、
 なぜか時間が経つ中で、何度となく蘇ってくるのです。あのやや早口で滑舌の効いた肉声とともに。


 私は決して先生の良い生徒ではありませんでしたが、何か面白みは感じてくれていたようです。
 ゼミの毎週出すリポートで、私は必ず最近考えていることを勝手に書き連ね、先生からの感想を待っていました。
 課題とはまるで関係ないのに、先生はいつもユニークな、こちらが予期しないような感想を返してくれました。
 私の大学で学んだことのすべてはそのやりとりに尽きると言ってもよいでしょう。
 そしてそこから派生した冗談や禅問答のような謎かけのような言葉が、私の心にいつまでも溶けずに残っているのです。


 先生は山を愛する人でした。ゼミ合宿も山あいの小さな温泉が多く選ばれました。
 山そのものの美しさよりも、山に一緒に登る人との関係やそこに住んでいる人との交流を、もっぱら語ってくれたものです。
 今も私の中にある先生の言葉は、アルプスの山々の消えることない残雪のようにいつまでも美しく光っています。
 先生ありがとうございました。もう一度くらいどこかで会える気がしていたんですがね。。。なんだか無性に残念です。
 どうか安らかにお休みください。


 訃報:歴史学者 阿部謹也さん
 http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/fu/news/20060909k0000e060071000c.html


4104759015阿部謹也自伝
阿部 謹也

新潮社 2005-05-24
売り上げランキング : 6219

Amazonで詳しく見る
by G-Tools