丸善に檸檬。

愛用のボールペンのインクが切れたので、替芯を求めて丸の内オアゾ丸善にふらりと寄りました。
ここは建築的にはとてもすばらしいところだとは思うのですが、どうしても日本橋にあった頃の風情を懐かしく感じてしまいます。
地下鉄の通路から繋がっていたかつての地下売り場には、時計や文具の他にシャツや健康器具なども売られていたりして、
時間がまったりと流れているような良い雰囲気があったものです。


オアゾ丸善が残念なところは、二階に上がらないと小説本が見られないことです。
一階はほとんどがビジネス書で占められていて、とても味気なく感じます。
日本橋の頃は、小説本とビジネス書がうまく同居していたのですが。


早いもので、オアゾ店も開店二周年。漱石山房の絵柄を使ったメモ帳をいただきました。
なかなか洒落ていて得した気分です。


丸善といえば、思い出されるのは梶井基次郎の「檸檬」。
京都寺町で買ったレモンを丸善の画集売り場に置いてくるという誰でも知っている名作です。
私も修学旅行で京都に行った時、この作品の舞台を見たくて丸善を探したものです。
さすがにレモンは置いてきませんでしたが。
丸善美術書売り場にはレモンのデザインを施すと結構受けると思うのは私だけでしょうか。
そんな気持ちで美術書売り場を眺めているうちに、久しぶりに読み返したくなりました。


近所の図書館で梶井基次郎全集を探して読んでみると、驚く発見がいくつもありました。
この「檸檬」という作品に対する批評で、もっぱら言われているのは「インテリの憂鬱」ということですが、
よく読むとそれとは違う印象を受けます。
大学にも行かずに無気力に日々を過ごす青年が、たまたま街に出て、珍しいレモンという果実を手にします。
すると、心と体になにやら元気がみなぎってきて、普段は敷居が高くて入るのを躊躇していた丸善にも入る気になります。
そして、鮮やかな色彩に満ちた画集を積み上げ、そこに買ってきたレモンを置き、そのまま店を出るのです。
彼はレモンが爆弾で丸善がふっとべばいいと妄想します。
この気持ち、何かに似ています。
たとえば、アキバのオタク青年が青山や銀座の高級店に入る時に感じる気後れと反発のようなものでしょうか。
ここに描かれているのは、そうした現代のオタク的憂鬱にも通じる何かです。
設定を現代に変えて改作などすると、この作品、意外な共感を得て、現代に蘇るのではないでしょうか。


こんな繊細な作品を残した梶井基次郎は、その作風とは裏腹に、結構な乱暴者で、
リンゴを無断で食った作家仲間をぶっ叩いたりしています。
実の兄貴も、あいつは長生きしたらボス的存在になって、きっと悪いことをしたろうから早死にしてよかったなどと言っている始末です。
結核で31歳で亡くなっていることもあって、作品の数も少ないのですが、今読んでも鮮烈な印象を残す作品があるとは素晴らしいことです。
梶井の作品は、若い世代が抱く不安や焦燥を奇妙な形で言語化しました。
同時代の若者がこれをどのような気持ちで読んだのか、批評家の硬直した言葉ではなく、聞いてみたいものです。


檸檬
4087520137梶井 基次郎

集英社 1991-05
売り上げランキング : 5784

おすすめ平均star
star果てしなき日々
star梶井基次郎がみつけたかったもの
star檸檬 レモン れもん

Amazonで詳しく見る
by G-Tools