椎名誠の実験。

銀天公社の偽月銀天公社の偽月
椎名 誠


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 「100年後の純文学」と銘打った、椎名誠の新刊が出ました。
 「銀天公社の偽月」。これは「新潮」や「文學界」に発表してきた短編を集めたものですが、いずれも彼得意の奇妙な暗さを伴った近未来が描かれています。
 アンドロイドと人間が融合したような傷痍軍人「つがね」や油脂雨から身を護る「海鼠合羽」やらうるさく周りを飛び交う「知り玉」など、この小説の真骨頂とも言える不思議なモノ達が溢れんばかりに登場します。


 こうした小説の系譜は、「アド・バード」「武装島田倉庫」から始まるもので、彼のもうひとつの作家としての面、つまり「大自然紀行エッセイスト」「古風な家族愛小説家」というようなお馴染みの側面とは、全く反対の、いわば暗黒面の顔なのです。私はどちらかというと、この夢も希望も無く、ただ人々がひたすら生きているだけという、見ようによっては、非常に陰鬱な印象を受ける作品に、むしろ悪魔的な力強い魅力を感じています。
 世間ではエンタメ的作家としての印象が濃い椎名誠ですが、純文学系文芸誌でぽつぽつと書き継がれているこうした諸作はもう少し評価されてもいいような気がします。
 後期の中島らももそうでしたが、こうしたタレント的要素を有した作家は、視野の狭い人々ばかりで占められるメジャーな批評家からは軽く扱われがちで、いくら秀作を書いても無視されてしまう傾向にあるようです。つまり同じようなものを書いても、町田康のような雰囲気とスタンスでいたほうが文芸業界では評価がされやすいということですね。


 先入観に囚われず、旺盛な読書欲があり、幅広いジャンルを守備範囲に持つような目利きで、貪欲に小説の面白さを発見できる批評家がもっと必要な気がします。
 だいたい、文芸誌の作品にろくに目を通さない批評家が多すぎます。プロならば、毎月数誌ばかりの文芸誌くらい、すべての作品を読破するくらいの気概がほしいものです。どうせ単行本になってから読めばいいと、たかをくくっているのでしょう。他の業界ではこうした態度はあまり考えられませんね。映画で言えば、ロードショーで見ずにDVDになってから見ればいいと言っているようなものです。読むに値しない駄作まで読まされるのが苦痛だったとか文芸時評で発言する輩がいるのは、どういうことでしょうか。最初から秀作だけお膳立てしてもらって読みたいという虫のいい気持ちもわかります。出版社と馴れ合いの提灯書評で糊口をしのぎたいという気持ちもわかります。しかしプロの批評家ならば、泥に手を突っ込むくらいの気持ちでもって、駄作でもなんでもとにかく毎月むさぼり読み、一般読者の目に届かない作品をカオスの中からこまめに取り上げていくのがプロとしての使命ではないでしょうか。だいたい世の批評家が駄作と断じているような作品に限って、読んでみると地味だけど無謀で新しい試みをしていたりするのです。頭の固い批評家にはそういったものは単なる失敗、あるいは退屈なものとしか映らないのでしょう。こうした批評家の怠慢が、結局、今の文芸誌の低調な状況をつくり出しているような気がします。


 ところで、今回の新刊「銀天公社の偽月」に先立つこと数ヶ月前、「砲艦銀鼠号」という同じジャンルに属する連作集が発刊されましたが、作者椎名誠はある実験を今まで密かに続けていました。
 この「砲艦銀鼠号」は「すばる」に連載されていたものですが、実は「文學界」でも、ほぼ似たようなキャラ(相棒である灰汁という男に呼応する「文學界」でのキャラは、雲去といいます。)と状況設定で、別々の物語が同時進行していたのです。
 ただ違うのは、「すばる」の舞台は海ですが、「文學界」のほうは山ということです。
 つまり作者は、海と山という物語空間を交互に往還する作業をここ数年行ってきたわけです。
 そうしたパラレルワールドを構築するような作業が、それぞれの物語にどのような影響を落としたかは、具体的に定かではありません。
 単行本の姿となってまとまった形で二つを読むと、そのパラレルワールドの正体が少しわかるような気がしていました。


 そんなわけで、今回の新刊はてっきり、その「文學界」の連作が本になったのかと思ったのですが、中身を読むとそうではないようです。
 「砲艦銀鼠号」にも出てきた灰汁というユニークな相棒はちらちら顔を出してきますが、どうも外伝ぽい感じです。
 考えてみると、「銀天公社の偽月」は新潮社版ですから、「文學界」の連作ではないことは当たり前なのですが。
 「文學界」で繰り広げられた、もうひとつの灰汁的世界はまだ纏められないようですが、どうせなら、彼のこの密かな実験を世に示すためにも、ここは、「すばる」「文學界」と同時に単行本を出してもらいたかった気がします。


砲艦銀鼠号
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