ネズミのことが気がかりでつい読売夕刊を読んでしまう。

ほとんどの新聞記事はネットで読める時代ですが、著作権の関係もあって、新聞連載小説はやはり紙で読むしかありません。
思えば、あの横長で真ん中に挿画がひとつあるという紙面のスタイルは、漱石の時代から変わっていませんね。
どんなに大事件が起きても、連載小説の欄だけは、我関せずといった具合に何も変わらずそこにあるのがとてもよいです。
まるで大事件の日でも淡々といつも通りアニメを流しているテレ東のようです。(ちょっと違いますか)


たまたま購読していない新聞に、気になる連載が始まると、割と骨です。
ネットで読むわけにいかないので、それを読むために図書館に足を運びます。
一週間に一度くらいの割合で行き、まとめて7日分読むのですが、これは新聞連載小説の読み方としては邪道でしょうね。
やはり、少しづつ送られてくる親愛なる手紙のように、毎日その便りを心待ちにして読むというのが理想です。


最近気になるのは、なんと言っても、読売夕刊に連載中の松浦寿輝川の光」です。
はじめは目を疑いました。
あの松浦先生が、ネズミの親子の童話を書いている!
いつものあの官能的な作風とはまるで違う世界がそこに展開されているのです。
どういう心境の変化かと思いましたが、インタビューを読むと前からずっと暖めていた題材のようです。動物ものが好きだったんですね。
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20060718bk13.htm
文芸誌にはそっぽを向かれた企画のようですが、やはり動物ファンタジーものはある種の抗いがたい魅力を持っています。
私も心が疲れると、シートン動物記とか読んでしまいますからね。
しかし私が邪推するに、これを先生が書く最大のきっかけは、インタビューでもしっかり抱いている愛犬のタミーの存在ではないかと思います。
それが証拠に、この小説ののっけから、このゴールデンレトリーバーのタミーが登場してくるのですよ。
川で溺れそうになったネズミの子を助け、無邪気に遊ぶタミーの姿には、松浦先生の愛情がたっぷりと投影されています。
これは同じ犬飼いの身として、すこぶる羨ましい状況で、私も自分の愛犬をこうやって自作に登場させてみたいものです。(それもかわいい挿画入りで)


連載は今年の7月から始まっていて、現在は90回を超えていますが、まだお話は始まったばかりの様相です。
都会の中では珍しくなった自然が残されている川べりで暮らしていたネズミの親子が、その川が再開発のため暗渠になると聞き、新しい住処を求めて旅に出ます。
途中様々な動物たちと出会うのですが、いずれもが愛犬タミーのように優しいものたちではありません。まるで人間界の汚さを引き継いだような醜く暴力的な動物にも遭遇し、彼らは困難な旅を続けます。
ネズミはこの世の弱さをすべて背負ったように描かれ、これでもかというほど苦難が与えられます。
展開もスピーディでまるで映画レイダースのように一難去ってまた一難という、まさに新聞連載として読むにはぴったりの魅力も有しています。
それにしても、かわいいネズミたちが凶暴なドブネズミに襲われたり、台風の増水で溺れかけたり、挙げ句の果て、やがて訪れるであろう死について静かに考えたりする状況は、本当に哀しみを誘います。ネズミの一生なんてほんの短いものなのに、こんな辛いことばかりなんて。この子たちに平和な日々はいつか訪れるのでしょうか・・・。それとも漱石の猫のように死なないと太平は得られないのでしょうか。
月並みな言い方しか出来ませんが、死と生はいつも隣り合わせで、ほんのちょっとの偶然で今まで死なないで生きてこれたのだなと思ったりします。


逃亡の果てにさ迷い込んだ図書館で、ネズミたちは語ります。
「人間はなぜこんなに本を、言葉を、書いたり読んだりするの」
「それはきっと死を怖れているからさ」
「ネズミが言葉を持たなかったのはとても幸せなことかもしれないな」
と言いながらきちんと言葉を喋っているこのネズミは何であろうという矛盾はこの際置いておいて、何かを書くという行為は本当に一体何なのかと改めて思います。
こうして誰でもブログで自分の痕跡を残せる時代であるからこそ、一層そう思います。
しかしブログなんていつでも消せるし、元々実体の無い電子パルスの集合ですから、「書いた」うちには入らないのかもしれませんね。


さて、今回のこの小説は気になる点がいくつかあります。
宮沢賢治ばりのオノマトペ的形容の頻出
(ぼわぼわとか、するするとか、ぐんぐんとか、かなり意識的に使っているようです。元々、うそうそとした寒さとか、こうした形容が好きな先生ではありますが)
・母親不在の父子の旅
(それもリーダーシップ溢れた家父長的父親ではなく、あまり頼りにならない感じです。でもたまにいいことを言ったりして、それなりに子供達の心の支えにはなっているようです)
・曲がれない街路、降下する下水など、欲望に反駁する動きを持つ導線空間
(うまく表現できませんが、これまでの松浦作品を彷彿とさせるような、欲望に抗うように出現する街並みや通路が登場している気がします。何かバルテュスの絵に描かれた空間のようです)


 まだまだお話は続くので、ひょっとすると上記の気になる点はやがて別のものに変わっていくことでしょう。
 いずれにせよ、夕暮れとともに毎日やってくるこのネズミの便りからしばらく目が離せません。


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