ゆるゆるメディア、ラジオの時間。

ラジオ体操のすべてラジオ体操のすべて
丹生健夫 日東管絃楽団 体操


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ブログが定着して思うのは、ずいぶんと相互監視がきつくなったなあということです。
少しでも暴論めいたことを書くと、すぐさまその箇所がリンクされ、瞬く間に炎上となります。
特に書いた人が、有名人だったりするとなおさらです。
まあ暴論めいたことを書くほうがそもそも悪いわけですが、それにしてもこのチェック監視的風潮には何か息苦しさを感じます。


ネットがまだマイナーなメディアであった頃は、もう少しのびのびとした雰囲気があったように思います。
邪悪なオーラがぷんぷんとしているサイトを見ても、義憤を感じるというよりは、
おおこんな変わったものがあるというカルト的興味をもって接していたように思います。
今では考えられませんが、それだけネットというメディアが成熟し、影響力を持つものとして認知されたということでしょう。


相互監視がきつくなった背景には、書いたことが簡単に記録されるということにあると思います。
ブログで書いたことを消しても、キャッシュで残ります。テレビで喋ったことも、誰かの手によってすぐにYouTubeにアップされます。
こうしたメディアで一度発言したら、それはどこかで記録されていると思ったほうがいいでしょう。


フーコーは、事物がストックされカタログ化されることが即ち権力だと言いました。
とはいえ私を含めて記録分類批評するという行為は誰もがやることで、もうこれはどうしようもないことではあります。
そもそもこうしてフーコーについて言及すること自体が、フーコーをその権力下に置くことに他ならないというジレンマもあるわけですが。
しかし、記録が残ってストックされるということに伴う妙な息苦しさは、確かにそんなことと関係しているのかもしれません。


けれど、ラジオってまだ案外、この記録包囲網の外にあるような気がします。
もちろんポッドキャストという手段が現れて、前よりは手軽に記録できるわけですが、それもまだまだほんの一部です。
ラジオでの大半のお喋りは、刹那的に消費され、繰り返し聴かれることを前提としていません。
その証拠に、懐かしテレビのDVDはあっても、懐かしラジオ番組のCDとかは聞いたことがありません。
喋っているほうも、それを知ってか、テレビに出ている時よりずっとゆるく喋っているようです。
誰もそんなに聴いていないし、記録もされていないからいいやという気軽さがあるからでしょう。


考えてみると、ラジカセが全盛の時代の昔のほうが、今よりラジオは記録されていたように思います。
私もせっせとオールナイトニッポンとかをテープにダビングしていたものです。
今もリアルタイムで番組を聴くことが難しいので、トークマスターという機器を使って録音していますが、
いちいちPCにコピーする手間が少し面倒ではあります。


毎週聴いているラジオはかなりあります。落語系に偏っていますが・・・。
春風亭昇太オールナイトニッポン」「談志の遺言2006」「高田文夫ラジオビバリー昼ズ
志の輔ラジオ土曜がいい」「唐沢俊一のポケット」「こども電話相談室」「話の泉」等々。
どれも繰り返し聴くというわけではないのですが、ラジオの声が流れているという環境は結構よいものです。
特に話者が噺家さんだと言葉のリズムが心地よいですね。落語家はテレビよりラジオに向いているという当たり前のことが改めて実感できます。
それから、テレビを見ていてコメンテーターの発言に不快になることはあっても、ラジオではあまりそういうことはないですね。
結構、暴論めいたことを言う人もいますが、まあそういう見方もあるわなという感じに思えるのです。
これも皆、マイナーメディア故のゆるさと自由さが醸し出すものなのでしょうか。
ラジオもデジタルラジオになって、今より記録が手軽になると、また雰囲気が変わってゆくと思われます。
便利になると失うものもあると思うと、少し寂しい気がします。

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