100年目の坊ちゃん。

坊っちゃん坊っちゃん
夏目漱石


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今年は夏目漱石「坊ちゃん」が発表されて100年。
丸谷才一が新聞や雑誌に「坊ちゃん」について寄稿しています。
特に今月発売の「群像」1月号のエッセイは、ある新説が述べられていて興味深いです。
その新説とは、下女の清(きよ)は坊っちゃんの実母ではないかというものです。
言われてみればその通り、いろいろ話の辻褄が合います。
いくら坊っちゃんの気質が気に入ったとはいえ、清の坊っちゃんへの敬愛ぶりは過剰です。
一度でもこの作品を読んだことがある人なら、清と坊っちゃんの絆の深さがわかるはずです。
私も「坊っちゃん」というと、真っ先に思い出すのは、清のことです。
清が欲しがった越後の笹飴を一度食べてみたいとずっと思っていました。


漱石は幼い頃に養子に出され、母との関係は複雑なものがありました。
こうした漱石の幼児体験と照らし合わせると、清実母説はますます現実味を帯びてきます。
今まで何度も読んできたのに、全然それに思い至らなかったのは不思議です。
これは丸谷先生も同じことを述べています。
100年間、誰もこのことに気が付かなかったのです。
なぜなんでしょうね。
最も伝えたいことは、しばしばそれらしくないかたちをして、物語に現れるからでしょうか。


丸谷先生の説の詳しいところは「群像」を読んでもらうとして、
坊っちゃん」という小説は、再読すればするだけ、新しい発見があります。
少し前に、小林信彦が、うらなりこと古賀の視点から「坊っちゃん」を読み直した「うらなり」という作品を発表していました。
これがまた良く出来た小説で、坊っちゃんという人物像がぐるりとひっくり返ります。
うらなりは赤シャツとマドンナを取り合ったため、宮崎の延岡に左遷させられてしまう哀しい運命の教師です。
坊っちゃんもあんまりこのうらなりを評価していないようで、どっちでもいいような扱いです。(そのくせ下宿の斡旋をしろとか都合良く利用していますが)
脇役ですからそれも仕方がないのですが、脇役のほうが物事がよく見えているものです。
主人公坊っちゃんがいかに、うらなりにとって迷惑なものだったか、うらなりの美学を脅かす存在だったかがよくわかります。
粋な江戸っ子坊っちゃんと野暮な田舎者との闘いとして「坊っちゃん」は解読されがちですが、
そこには西洋近代主義と義理人情江戸主義という同時代的問題も潜んでいます。
合理主義と戦う時代遅れの痩せ我慢さが坊ちゃんの魅力でもあるわけですが、うらなりから見れば、それは奇妙で不可解なものなのです。


ちなみに、「坊っちゃん」は青年が都会から田舎に行く話ですが、「三四郎」は逆に田舎から都会に青年が行く話です。
三四郎にも実は一度読んだだけではわからない隠された主題というものがあるのですが、この二人の若者を並べて考えると
時代が変わっていく中、粋にふるまうことがどういう価値を持つのかが、おぼろげに浮かんでくる気がします。
偉い地位にいるくせに野暮でセコい人が多い現代、これらをもう一度読まなければいけないのは、若者ではなくて、偉いところにある人なのかもしれませんね。


うらなり
4163249508小林信彦

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おすすめ平均star
star思わず引き込まれて、一気に読んでしまった
star静かに生きたひと
starこれは面白い本です。

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