今月の文芸誌(07年5月号)

文藝 2007年 05月号 [雑誌]文藝 2007年 05月号 [雑誌]


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今月は「文藝」が出る月なので、一冊多いです。
その「文藝」は柳美里特集です。「新潮」で連載していた「山手線」シリーズがこちらに移ってきています。
新潮社とあまりうまくいっていないようなことも以前書いていましたが、
「新潮」編集長の矢野優氏が全身全霊を込めた暖かい応援コメントを「文藝」に寄せているので大丈夫でしょう。
しかしこれだけの最上級のコメントを投げかけられる作家がいるということは編集者として幸せなことですね。
もちろん投げかけられた作家も幸せですが。
こうした関係から良い作品が生まれることを期待してやみません。


今月もおもしろい作品がいくつかありますが、なんといっても注目は、
筒井御大の「ダンシング・ヴァニティ」の第2部の登場です。
さらにドライブ感に拍車がかかって、どこまでいくのかと空恐ろしくなります。
ここまでやっていいんだ!と、忘れていた小説の自由さを思い出させてくれます。
思わず「海」の頃の挑戦的短編群を思い出しました。
秘書の功刀さんが最高です。


誰に頼まれたわけでもないのに、せっせと日常のどうしようもなさを暴き続けている前田司郎がまたやってくれています。
「グレート生活アドベンチャー」(新潮)は、ドラクエRPGゲームを実存的に暴き、
そのまま僕らの日常というものを返す刀で斬っています。
これを読んでしまうと最後、RPGゲームを純粋なゲームとしてプレイできなくなるので注意が必要です(笑)。
いろいろ印象的な言葉が出て来て、一段と才能に磨きがかかっている感じがしました。


家族をモチーフにする作品というのは、毎月何かしらの形で登場しますが、今月はそうした作品がなぜか印象に残りました。
「龍の棲む家」玄侑宗久文學界)は、認知症になった父の介護をめぐる話です。
誰でも家族が認知症になれば戸惑うものですが、その状況に家族外から手をさしのべる者が現れます。
病気によって家族の記憶がぼろぼろと欠落していく者と、新しく家族として参加していく者。
その循環の中に宗教家としての目線がありました。
介護的なノウハウも豊富で、取材もきちんとしているという印象を受けました。


「海近しの眩しい陽射しが」川崎徹(群像)は、肉親と友人の死という二つの死を巡る話です。
川崎氏は従来の作家が狙わないような部分を、時に不条理という形を伴って、的確にスマッシュヒットしてくる才人ですが、
今回の作品はオーソドックスに死について考えているような感じがします。
川崎氏のことなので、最後まで何かあると思って読んでいたのですが、
そんなどんでん返しのようなこともなく、静かなかたちで終わりました。
死という最大の不条理の前には、どんな不条理な物語もかなわないということでしょうか。


最近、量産体制に入っているようにも感じる佐川光晴は「文學界」に、
建築家の元カノとの関係を描いた「一枚の絵」を発表しています。
主人公は画家で、元カノは建築家という設定にちょっと少女マンガ風味を感じますが、
画家の男が元カノにアプローチする仕方が、キモくて面白いです。
そのキモさを自分で自覚していないところが、さらにヨイです。
まあヨイといっても、微妙な良さですが。
語り手としての主人公が無自覚だと、読み手が自分で常識を開拓していかねばならないので大変です。
そういう作業では、時に自分の常識のあやふやさを自覚することもあり、ますますシュールなことになります。


湖水地方寺坂小迪文學界)も奇妙な家族話です。
不思議な姉妹が出て来て三角関係に悩む話、これもまた少女マンガ風です。
なにしろ相手の男の名前が煉ですからね。煉獄の煉です。ダンテかよって感じです。
今どきの純文学のライバルはもしかしたら少女マンガなのかもしれません。
純文学の編集者は一度少女マンガ雑誌を経験した人が適役だと真剣に思います。
少女マンガの想像力を超えたものが純文学には要求されているような気がします。


その他、電車の中で自分の尻を揉む男が出てくる(なんじゃそりゃ(笑)吉田戦車ですか?)木下古栗の「受粉」やら、
先輩の女と携帯でやりあった挙げ句、こっぴどい仕打ちをする男の話、恒川光太郎「風を放つ」など
頭がくらくらしそうな異色作もあって、今月も純文学から目が離せません。(ホントかいな)
(ちなみに恒川氏はあのミステリーの傑作「夜市」の人ですよ。こんな話も書くんですね。
「風を放つ」はアーヴィングの「熊を放つ」から?考え過ぎですか。)