今月の文芸誌(2007年7月号)

1000の小説とバックベアード1000の小説とバックベアード
佐藤 友哉


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今年も早いもので、号の上ではもう下半期に突入。
しかし考えると、文芸誌って、全く季節感無いですね。
「夏到来!ハワイ文学!」とか「避暑地で読むおすすめ純文学」とか
たまには季節感あってもいいと思うのですが(笑)。


さて、今月の目玉は、何と言っても、ユヤタンこと佐藤友哉三島賞受賞あれこれ、
そして、ゲーム的リアリズムをめぐる筒井康隆先生と東浩紀の対談でしょう。
三島賞の選評を読むと、予想通り、受賞作『1000の小説とバックベアード』に対する微妙なコトバが並んでいます。
中でも宮本輝の評「私には文字だけで書かれたドタバタコミックとしか思えなかった」は辛辣です。
他にも、「佐藤氏は貧しい」(福田和也)、「佐藤の文学あるいは文学史への向かい合い方は確かに稚拙である」(島田雅彦
といった手厳しい言葉が並びますが、しかし宮本氏以外は、それでも今回の作品になんらかの可能性を見ているようです。


こうした選評を待つまでもなく、この受賞作はいわゆるイタイ作品であります。
しかしそんなことは作者自身も自覚済みなんです。
イタイことは百も承知でも、書かずにはいられなかったんでしょう。
なんだか今どきの若い人の、怖いくらいのまっすぐさを感じます。
ちょうど今発売中の「SFマガジン」に、「セカイ系」的引きこもりから「決断主義」に移行する今どきのライノベについての評論が載っていますが、
まさに佐藤氏の作品と言動を見ていると、その「決断主義」が何たるかをかいま見る思いです。


「新潮」には、受賞記念のエッセイと高橋源一郎との対談が併せて載っていますが、こちらも相当イタイです。
このままいくと、イタイキャラが定着してしまって、業界的にそのキャラを利用・消費させられると、なんだか嫌ですね。
あくまでこのイタさは、通過点であってほしいと思います。
エッセイの中で、「師匠がほしかった」と述べていますが、これは今の文学において、結構本質的な問題なのではないでしょうか。
私は以前から、文学の世界にも、落語のような徒弟制度があっていいと考えています。
過去の小説を読まないで、ただひたすら書こうとするばかりの、今の若い作家にはやはり師匠が必要なのです。
対談で源一郎氏から公私にわたる様々な示唆を受けて、「そうだったのか!」と純真さ丸出しで、目から鱗状態になっている佐藤氏を見て、
いっそ弟子入りでもすればいいのにと思いました。
そうした雰囲気は、筒井先生に対する東氏の態度にも見られます。
この対談は、まるで老師と若き弟子の問答のようです。
筒井ファンとしては、なんだかジェラシーを感じるほどの、互いのリスペクトに満ちた羨ましい問答でした。


今月の小説では、久々の玄月さんが、なんと570枚の長編「眷族」(群像)を発表しています。
綿矢りさ「夢を与える」より70枚も長い大作で、読むのに骨が折れそうです。面白ければよいのですが。
あとは、伊藤整賞受賞第1作ということで「てれんぱれん」青来有一文學界)が注目です。
青来氏の最近の短編はどれも残酷なまでに人間の業を描く面白さがあって、今最も脂がのっている作家の一人ではないでしょうか。
もっと話題になっていい作家さんです。


その他、高齢デビューで話題を呼んだ桑井朋子氏が「すばる」と「文學界」と二作も発表しています。
中身に新しさはあまり感じられませんが、文芸誌の購読層として無視できない高齢者の読者には、共感を呼ぶ作品だと思います。
若者のイタイ叫びだけの作品ばかり読まされても、こういう層は困るだけですからね。


最後に余談ですが、防犯監視カメラの広告が「文學界」と「すばる」の2誌に載っています。
監視カメラ業界は純文学好きなのでしょうか?
それとも監視社会をキーワードにする東氏に対するわかりにくいオファーなのか(笑)。
ちなみに「すばる」に載っている広告は、他誌より異色です。
レンタカー屋、塩事業センター、救心、ネクタイ屋、ゴマ焼酎。
これらと文学の関係、マーケティング的に大いに興味がありますな。


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