文学の触覚展、開幕です。

群像 2008年 01月号 [雑誌]

群像 2008年 01月号 [雑誌]

ついにオープンしてしまいました。
純文学とメディアアートをコラボレーションした展覧会、「文学の触覚」展が昨日15日に開幕しました。
2年くらい前から動いていた企画だったので、今回の展覧会は感慨もひとしおです。
私の雑談のような企画をすくいあげてくれて、現実化してくださった学芸員の方のミラクルパワーにはホントに脱帽です。
いくら感謝しても感謝しきれません。ありがとうございます。


企画意図やら言いたいことは、会場の挨拶文に書いた通りです。
それをご覧いただければと思います、というところですが、それもナンですので、ここに再録します。

 テクノロジーの発達とともに、文学の領域は爆発的に拡大し続けている。
 テレビゲームから生まれた「サウンドノベル」、ビジュアルキャラクターと密接な関係を持ちアニメにも展開される「ライトノベル」、不特定多数の人々が物語の断片をネット上で語り継ぐ「新ジャンル」、そして今話題の「ケータイ小説」。
 これらを文学として扱うことに、違和感を覚える人々はまだまだ多い。確かに未熟な点も様々あるが、デバイスを含めたその表現形態は現代において圧倒的な有効性を持っている。もしも文学がこの先、新たな地平を切り拓くことを本当に欲するならば、表現形態を紙媒体だけに留めておくはずはない。
 テクノロジーと言葉が積極的に交差する中で、かつてないかたちで想像力が喚起されることであろう。時に蛮行と囁かれようとも、文学がより多くの読者と繋がるためには、その試行錯誤は不可欠である。
 今回、無謀とも言えるこの企画に参加し、怖れることなくテクノロジーと対峙していただいた作家の方々には深く深く感謝したい。そして言葉という最も扱いにくく厄介な代物と真っ正面から闘ったアーティストの方々の努力に改めて賞賛を送りたい。
 この展覧会は、様々な人々の、文学への過剰な愛によって成り立った稀有な結集点である。



今回の目玉は、なんといっても、かの覆面作家舞城王太郎さんの参加でしょう。
それも、この会場でしか読めない小説が日々、公開されるのです。
その作品は決して書籍にされることはなく、雪のように消えてしまうのです。
テーマは冬の恋愛。
言葉ひとつひとつが、雪のエフェクトとともに、舞い散り、消えてゆきます。
舞城ファンとしては、その場で次々に文章が消えていってしまうなんて、なんとももったいない気持ちになりますが、
この一期一会的なことの中にこそ、舞城さんの小説への考え方が示されているのだと思います。


会場には、舞城さんの自宅のキーボードと連動したキーボードが置かれ、
舞城さんが文章を綴る手さばきをそのまま見ることができます。
スクリーンには打ち出された文章が投影され、まさに舞城さんが文章を紡ぎ出すプロセスを体感することができるのです。
原稿用紙の時代は、推敲の後をそのまま読み取ることができましたが、ワープロになってからは、そうした創作の過程は
不可視となっています。
今回の試みは、その不可視の部分を、全く別の形で可視化した画期的なものだといえます。


今回の展覧会で、最も考えてみたいのは、物語の伝え方、表現の仕方です。
紙でページをめくる以外の読み方を模索することで、
今まで伝えきれなかった感覚や、逆にこぼれ落ちてしまう表現を見つけてみたいと思います。
巷ではケータイやネットによって、物語がどう変わるかと議論していますが、
優れた強度のある物語は、紙でもケータイでも媒体を選ばず、生き残っていくのではないでしょうか。


今回の展示作の元になったテキストは、「群像」新年号で読むことができます。
こちらを持って、会場を訪れるのが最適かと思います。


純文学方面から見ると、かなり無謀な企画なので、きっと賛否両論出るかと思いますが、
その状況こそが求めるべきものなのだとも思います。
これから2月までの会期中、どんな反応が出てくるかとても楽しみです。