キャラクターズ芥川賞候補作品篇
ノックの音がした。
ここは都心の瀟洒なマンションの一室。
待ちかねたように住人のエヌ氏がドアを開ける。
ドアの外に立っているのは、数人の男女。
皆、どことなく影が薄い。
それもそのはず、すべて彼らは小説の中の登場人物たちなのだ。
エヌ氏に促され、ぞろぞろと部屋に入ってくる。
「チャイムがあるのに、なぜわざわざノックしなきゃいけないんだ」
いきなり、来客の中の少し目つきの悪い男が言った。
「馬鹿ね。ここはエヌ氏のマンションよ。ノックしなきゃ始まらないよ」
すかさず横にいた中国人らしき女が諭す。
楊逸のワンちゃんだ。
さすがしっかりしている。
「星新一か。慊(あきたり)ねえ」と男が吐き捨てる。
どうやらこの男、西村賢太が生み出した『小銭をかぞえる』の主人公の「わたし」のようだ。
カツカレーをぶん投げられないように注意せねば。
おっとそれは『どうで死ぬ身の一踊り』の時の「わたし」か。
まあたぶん同一人物だろう。
挨拶代わりに聞いてみた。
「例の「全集」のほうはいかがですか」
「「全集」じゃなくて「全集(旧字)」だ。それより池袋の三千円焼きソバを食わせろ。
ぼくの旦那は結局最後まで焼きソバを食わせてくれなかったんだ」と男がわめく。
「焼きソバくらいええやん。わたしなんか最後、卵の投げ合いさせられてぐじゃぐじゃや」と関西弁の女が言う。
川上未映子の『乳と卵』の夏っちゃんか。
すると後ろに隠れるようにしている少女が姪の緑子というわけか。
「芥川賞おめでとう、緑子ちゃん」
「・・・・・・・・・」
返事がない。
まさしく緑子のようだ。
「わたしよりこの子のほうが魅力的みたいやわ」夏っちゃんが緑子を見ながら、ぽつりと言う。
芥川賞の選評で川上弘美が、緑子にもう一度会いたいと言っていたことが気になっているのだろう。
「私だって同じですよ」
突然、老婆が話に割って入ってきた。
田中慎弥の『切れた鎖』の主人公、梅代だ。
「小川洋子さんは、私より母の梅子のほうが記憶に残ったみたいだし」
梅代が口惜しそうにぶつぶつ言い出した。。
「梅子って、股がゆるゆるとか言う、あの婆さんか」
と、西村、じゃなかった『小銭』の「わたし」が口を挟む。
「だいたい梅子とか梅代とか美佐子とか美佐絵とか誰が誰だかよくわからないですよね」
言ったのは、OL風の若い女だ。
「あなた誰?」
「私は、津村記久子『カソウスキの行方』のイリエです」
「あんただって、イリエっていう字、結局どう書くのか最後までわかんないじゃない」
梅代が喉を大きく膨らませて吠える。
いまにも相手に掴みかかりそうな両者をまあまあとエヌ氏がなだめる。
今日は喧嘩をさせるために彼女らを集めたのではない。
日頃、作者の意のままに動かされ、赤裸々な私生活を晒されている主人公たちを少しでも慰めようとエヌ氏は思ったのだ。
特に今日の面々は、この前の芥川賞候補になった作品の中の人たちなので、とりわけ心労が濃いようだ。
「しかし賞が絡むと、作品の中身より作者の境遇や容貌ばかりに世間は関心を向けますなあ」エヌ氏は憐れむように言った。
「誰々が褒めたとか、どこのテレビに出ただとか、作品外のネタで盛り上がるだけだし」
と、うんざりした顔つきで、夏っちゃんが言ったその瞬間、
「それこそ現代の「コミュニケーション消費」の姿ですよ」
トイレから東浩紀が突如顔を出し、すぐに消えた。
「なに、今の人?」
とっさに卵を手にした夏ちゃんが言う。
「キャラクターとしてのあずまんですな」
エヌ氏は落ち着いた口調で答えた。
「例の小説を書いてから、自由にキャラとして分裂できるようになったみたいです。魔法だって使えるみたいですよ。ほら」
窓を開けると、空いっぱいに2ちゃんの哲学板のあずまんAAが広がっている。
(楽しく使ってね 仲良く使ってね)という文字がその横でひらひら漂っているが意味不明だ。
「これが出る頃には、あずまんスレも百に達して、あずまん本人がスレに降臨し、ますますキャラ化していることでしょう」
エヌ氏は空を仰いで眩しそうに言った。
「ぼくも最近だんだんキャラ化してきたような気がするなあ」
と『小銭』の「わたし」がつぶやく。
「しかし、ぼくも例の「全集(旧字)」を出しちまったら、お払い箱なのかな」
「「「大丈夫、当分、出さないから!」」」
周りにいた数人が声を揃えて言った。
「な、なんだよ!その三重カッコは?」
もはや西村か『小銭』の「わたし」か判別がつかなくなった男が叫ぶ。
「え、知らないの?今どきのラノベじゃあ常識だよ、はぅ〜」
不敵な笑いを浮かべながら、『ひぐらしのなく頃に』の竜宮レナが現れた。
「『恋空』の美嘉ちゃんだって、使ってるよ、はぅ〜」
「その「はぅ〜」っていうのやめんか。気持ち悪い」
梅代がいたたまれずに叫んだ。
「だって、「はぅ〜」がなければ、レナだってことがわかんないもん。
こういう口癖を登場人物ごとに設定しとくと、会話文だけで押し通せるから便利だよ。
梅代さんちも、そうやっとけば、誰が誰だかわからんなんて言われなくてすんだのに〜」
「にぱ〜☆」梅代が歯を剥き出して笑った。
「梅代、かぁいい〜、お持ち帰りぃ〜」
ふと部屋の隅を見ると、若い男二人がしょんぼりと佇んでいる。
存在感が薄くて、あまり見分けがつかないが、今どきの男の子感に溢れていることは確かだ。
「やっぱりカツラの桂さんじゃ、ベタ過ぎましたかね?ベタをあえて狙ったんですがね」
と、山崎ナオコーラの『カツラ美容室別室』の佐藤淳之介が恥ずかしそうに言う。
「いつも気持ち悪いほどに何でも褒める佐々木敦の『絶対安全文芸時評』にまでキビシイこと言われましたからね。
これではナオコーラでなくてただのナオコだって」
「あなたも、確か『絶対』で「鬼畜」とか言われてましたね」
もう一人の男の子、中山智幸の『空に歌う』の和哉に向かって、エヌ氏は話しかけた。
「ええ。残念な兄、哲也の元カノをいきなり襲っちゃいましたしね。
中山さんもずいぶん無茶なこと僕にさせますよ。勘弁してくださいよ、ホントに」
と、和哉は言い、
「だいたい、種子島まで行ってロケットだって見てないんだから」と言い捨てた。
この二人が再び、主人公として生きることはあるのだろうかとエヌ氏は思う。
思えば、私はいろいろな作品で繰り返し主人公を務めてきた。
個性がないことが個性だった。
エヌ氏というのは記号に近い存在だ。
記号はストーリーの邪魔をしてはならない。
たまには流行の服を着たり、その時代のヒット曲も口ずさみたかったが、じっと耐えてきた。
その苦労が作品の寿命を少しでも延ばしたなら嬉しい。
そんな私から、今のキャラクター的小説世界を生きなければいけない、この部屋の彼らに言うべきことはあるのだろうか。
ふと視線を感じて目をやると、そこに『乳と卵』の緑子が立っている。
「ほんまのことをゆうてや」
緑子が口を開いた。
「ほんまのことをゆうてや。エヌ氏のエヌって、何?」
エヌ氏はにっこり笑って言った。
「エヌ氏のエヌは、ノベルのエヌだよ」