古今亭志ん朝

 落語名人会CDで、古今亭志ん朝「付き馬」。
 先月の寄席では「はなし塚まつり」をやっていて、久しぶりにこの噺を生で聴いた。廓の噺なので戦時中は御法度になり、はなし塚に台本を埋めたといういわくありの演目である。生で聴いたことが引き金になり、思わず志ん朝師匠版の「付き馬」を買ってしまった。
 味が違うのはもちろんなのだが、彼の噺を聴いていると、彼が本当に江戸に生きていた人のように思えてくるから不思議だ。昨日もちょっと書いたが、古典を語るにはその時代とリンクしていないとダメだと思うが、落語の世界はまさにそれが芸を左右する。
 下手な人が演ると、現代人が昔のどこかから借りてきた噺をただ語ってるとしか思えないのだが、名人にかかると同じ噺でも途端にタイムスリップした雰囲気になる。
 「付き馬」は特に今では存在しないような形態の職業などが出てくるから、そこらへんの芸の差が如実に出る。
 志ん朝師匠はふだんから江戸人のようなたたずまいがあったというから、気合いが違う。
 古典を語るにはこれぐらいのこころがまえが必要なのだなと改めて思う次第である。


 さつまあげ しょうが