「アフターダーク」を読む。

 優れた物語の条件とはなんだろう。読んだあと、心になにかを残したり、それによって知らないうちに何かが変わることだろうか。たぶん重要なのは、「知らないうちに」変わることなのだろう。優れた物語は、巧妙に、変わるためのなにかを隠しているものだ。
 村上春樹が提示するイメージは時として、すぐにはなんだかわからない。それが何を意味していて、読む者に何を伝えようとしているのかよくわからないことが多い。読んだ後、そのイメージを反芻するうちに、自分が知らず知らずに、どこか別の立ち位置に運ばれていることに気付く。それは読んですぐかもしれないし、10年後かもしれない。
 「アフターダーク」は現代、それもすぐここで起こっている物語だ。デニーズも出てくるし、タカナシのローファットミルクも出てくる。ある種の人々にとっては、物語でもなんでもなくて、現実そのものかもしれないほど、リアルに現在だ。ただその後ろに横たわる意味を自分のものにするには、時間がかかるだろう。優れた物語は、非常にゆっくりとした動きで、読者の心に作用していくものなのだ。そしてそういった物語を書くことはとてつもなく大変な作業だ。扱う題材がリアルな現在であるほど、そうであるに違いない。
 登場人物たちがこんなことを言っていた。

「(前略)何かをうまくやることと、何かを本当にクリエイトすることのあいだには、大きな違いがあるんだ。(後略)」
「何かを本当にクリエイトするって、具体的にいうとどういうことなの?」
「そうだな・・・音楽を深く心に届かせることによって、こちらの身体も物理的にいくらかすっと移動し、それと同時に、聴いている方の身体も物理的にいくらかすっと移動する。そういう共有的な状態を生み出すことだ。たぶん」
「むずかしそうね」
「とてもむずかしい」



 この物語は、ある種の闇に引き込まれていく人間を書いている。そしてそれは決して特殊な人間ではない。誰でも平等に、闇に引き込まれる瞬間があるのだ。その闇が潜んでいる場所にすでに自分は立っているかもしれないし、もうとっくにやり過ごしているかもしれない。ただ闇は確かに存在する。その存在に気付いたとき、人は、今までのふつうの日常がいかにもろいものか実感するのだろう。
 いずれにしろ、この物語を考えるにはもう少し時間が必要だ。


それにしても、名古屋で小倉あんかけスパゲッティやトンデモパフェなどを食べたり(「TITLE」の連載)している間にこんなものをちゃんと書いているのだから、やっぱり作家はたいしたものだ。(そういえば、「海辺のカフカ」もさぬきうどんが色濃く影響を落としていた)


おでん
ピルスナービール