人間らしくやりたいナ 人間なんだからナ

 

開高健 夢駆ける草原開高健 夢駆ける草原
高橋 昇


Amazonで詳しく見る
by G-Tools
 最近、開高健の顔をよくテレビで見かけます。
 眼光鋭く大声でずばっと言葉を放つ様子は、ぬるま湯的なテレビの中でドキッとする一瞬です。
 晩年は釣りと食の人というイメージが強く、雑誌やテレビではちょうど今の椎名誠みたいな使われ方をしていました。
 50代で早逝してしまったのが何とも残念です。
 今になってその顔をテレビで見るというのは、何か現代に欠けているものを彼が持っているからでしょうか。
 サントリーの宣伝部にいた頃につくったコピーは彼の生き方そのものが出ています。


  『人間』らしく
  やりたいナ
  トリスを飲んで
  『人間』らしく
  やりたいナ
  『人間』なんだからナ


 私にとってトリスはもう小津安二郎の世界の飲み物ですが、
 トリスが生活と直に繋がっていた世代にとっては堪えられない文句だったことでしょう。
 そういえば、昔、ひょんなことでサントリーにイベント企画の提案をしたことがありました。
 今思えば無茶苦茶な話ですが、トリスならぬ「エロス」という酒の提案をしたのです。
 どこか猥雑で暖かく深い懐を持った「場末」を浅草の裏あたりに現出させ、
 昔の酒場が持っていた人間臭さを期間限定で幻として浮かび上がらせたいという気持ちがあったからです。
 それにはずばり「エロス」という名前がいいと思ったのです。
 まあ向こうは冗談と思ったのでしょう、一笑に付されてしまいましたが、
 あの時、私は開高健のこの「人間らしく」の言葉を思い出して提案を喋っていました。
 エロスという言葉の先には開高健がいたのです。
 

 これはCMコピーではありませんが、開高健は自分の生き方の主義を編集者に向けて、こう残しています。


  読め。
  耳をたてろ。
  眼をひらいたままで眠れ。
  右足で一歩一歩歩きつつ、
  左足で跳べ。
  トラブルを歓迎しろ。
  遊べ。
  飲め。
  抱け。抱かれろ。
  森羅万象に多情多恨たれ。

  補遺一つ。 女に泣かされろ。

  右の諸原則を毎食前食後、
  欠かさず暗誦なさるべし。

  御名御璽 開高健
   (「編集者マグナ・カルタ九章」)


なんとももの凄いプリンシプルです。
でもある種、人生の真実ですね。
ベトナム戦争九死に一生を得た体験が影響していると言われていますが、
豪放磊落なエロス的言葉のその裏には虚無的な闇を彼は抱えていました。
アマゾンのレビューでも、「日本で初めてPTSDを取り扱った小説」と指摘されている方がいますが、
彼の代表作のひとつ『夏の闇』はその虚無を真っ正面から捉えている作品です。


そんな虚無にも繋がっているのではと思うのは、
あの有名な「雨と小犬」というトリスのCMです。
雨の中、街をさ迷う子犬の姿を憶えている人も多いはずです。
その映像にはこんなコピーがついていました。


  いろんな命が生きているんだな。
  元気で。
  とりあえず元気で。
  みんな元気で。
http://www.youtube.com/watch?v=Fp43fjmwGkA


コピーは開高健ではなく、仲畑貴志氏です。
開高健が築いたトリスの人間味溢れるテイストを見事に昇華しています。


開高健が放った「人間らしく」という言葉は、
虚無と大胆不敵なエロスを併せ持つ融通無碍な人間のこころを示しているのでしょうか。
それにしても現代には「エロス」が足りませんね。
記号的なエロなものは溢れかえっていますが、「人間らしい」エロはなかなかありません。
美術にも小説にも。そして食にも。さらに言えば街にも。
開高健の小説を今再び読んで、少しエロスについてまた考えたいと思っています。


夏の闇
4101128103開高 健

新潮社 1983-01
売り上げランキング : 21926

おすすめ平均star
star優れた文体。研ぎ澄まされた文章。
starPTSDを始めて小説化した作品ではなかろうか?
star闇に住んだ人

Amazonで詳しく見る
by G-Tools